2016年全国高校サッカー選手権で準優勝した高校をあなたは覚えているだろうか!
「あの人は、僕にとってはアレックス・ファーガソンよりも偉大。今回成績では超えたけど、あの人は一生超えられないですよ」とそう語っていたのは国学院久我山(東京)の清水恭孝監督(43)はしみじみと語った。
「あの人」とは、14年度全国選手権まで同校の監督を務めていた李済華さん(60=現同校総監督)のことである。
監督1季目で同校を過去最高の全国準優勝に導いた清水監督の指導者人生は“ゼロ”からのスタートだったそうなんです。監督自身は立正大時代はスピードとドリブルが持ち味のアタッカーとして活躍していて、卒業後はあるJFLのクラブに入団内定していたが、大学の卒業式前日に突然内定が取り消されてしまった。。
それでもサッカーへの情熱は捨てられず、指導者へと方向転換したそうだ。そして卒業後は大学時代の先輩の自宅に約半年間居候するなど生活は苦しかったそうです。そんな中23歳の冬に李さんと出会ったことで人生が大きく変わった。
だが李さんとサッカー談義を深めるうちに「なんでこういう人と自分は(過去に)会わなかったんだ。もしかしたら、もっとうまくなれたかも」との思いが生まれたという。
「自宅に招かれたときも、居酒屋でも、李さんはずっとコップを見て1対2がこうとか、インサイドキックがこうとか話していた。それが自分にとって新鮮だった。サッカーはシンプルだけど深いもの。李さんがそのシンプルなところを物凄く深くしゃべっているとき“俺、今まで教わってきたことあるのかな?”と思うくらいだった」
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久我山スタイルとはなんだろうか…
国学院久我山のグラウンドは野球部と共用で、サッカー部の使えるスペースは半面のみ。進学校のため平日の練習時間は2時間に限られ、朝練も禁止されている。決して環境には恵まれていないが、李さんはグラウンドの狭さを逆手に取り、狭いスペースでパススピードや個人技を磨かせ、細かいパスワークで敵陣を崩す“久我山スタイル”を確立させた。「制約があるからこそ、アイデアや創意工夫が生まれる」と李さんは言うが、15年春にコーチから監督に昇格した清水監督にも、そのイズムは受け継がれている。
決勝で東福岡に0―5で敗れた後、監督会見で語った言葉がその証拠だ。
「私たちが思う日本一の目指し方というのを、今ある環境の中でやるしかない。極端に言うと、グラウンドが一面あったとしても(練習は)今とあまり変わらないのではないかと思う。4対4のミニゲームが6対6に変化するとかだけ。久我山は久我山のスタイルで、久我山らしく日本一を目指したい」
自身の信念を大切にしつつ、限られた環境や制約を受けている状況でも柔軟な工夫をすることで、新しいアイディアを産みだして唯一無二の久我山スタイルにもつながっている気がしますね。
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